「責任」という言葉を聞くと、なんだか胸がキュッと苦しくなったり、
重苦しい気持ちになったりしませんか?
「ちゃんと責任を持ちなさい」 「どう責任を取るつもりだ」
そんな風に、どこか怒られているような、
責められているようなイメージを持つ方も少なくないと思います。
実は、恋愛や婚活、そして日々の人間関係の中で、
「なんだか生きづらいな」「いつも疲れてしまうな」と感じている方の多くが、
この「責任」という言葉のプレッシャーに、知らず知らずのうちに縛られています。
今日は、「責任感を持つこと」と「責任を取ること」の決定的な違い。
そして、なぜ私たちが無意識に自分を後回しにしてしまうのかについて、少し深いお話をさせてくださいね。
「責任感を持つ」とは、究極の「自愛」
一般的に「責任感」というと、他人のために頑張ることや、義務や役割を果たすことだと思われがちです。
でも、本当の責任感とは、【自分主体で生きる】ということだと私は思います。
誰かに依存したり、自分の幸せの決定権を誰かに委ねたりせず、
「私は私を幸せにする」と決めて生きること。
誰のせいにもせず、自分の足で立ち、自分自身を一番大切にする。
これこそが、本当の意味で「責任感を持つ」という、究極の自分への愛(自愛)のカタチです。
「責任を取る」とは、過去の「後始末」
一方で、「責任を取る」という言葉は、大抵「何かが起きてしまった後」に使われますよね。
それは、失敗や予期せぬ事態が起きた後の、いわば「後始末」です。
そして、私たちが「責任を取らなければならない状況」に立たされるとき、
その背景には、「あの時、もっと自分主体で向き合っていれば……(もっと自分を大切にしていれば)」という、後悔の念が伴っていることがほとんどです。
日常的に、自分主体という名の「責任感」を持って生きていれば、そもそも後悔の「後始末(責任を取る)」という事態には陥りにくくなります。
それなのに、なぜ私たちは「自分主体」で生きることが難しくなってしまうのでしょうか?
「責任を取らされる恐怖」という隠れみの
実は、私自身もずっと、ある心のクセを抱えていました。
それは、無意識のうちに「何かあったら責任を取らされるんじゃないか」「責められるんじゃないか」という恐怖をどこかで感じていたことです。
過去の経験などから、この「後始末への恐怖」が心にあると、
人間は傷つかないために、ある防衛反応をとるようになります。
それが、「自分主体で生きること(責任感を持つこと)から、無意識に避ける」という選択です。
「自分がこうしたい!」と決めて動いて、もし上手くいかなかったら、またあの恐ろしい「責任(後始末)」が降ってくるかもしれない。 それなら、最初から自分の人生のハンドルを誰かに渡してしまった方が安全だ、と心が判断してしまうのです。
だからこそ、
-
自分の本音よりも、人を優先的に考えてしまう
-
本当はモヤモヤしているのに「私は大丈夫、平気だから」と心を麻痺させてしまう
そんな風に、他人の意見に合わせたり、自分をガマンさせておけば、もし上手くいかなくても「私のせいじゃない」「だって周りがそう言ったから」と言い訳ができます。
他人優先や「私は大丈夫」という言葉は、あなたが怠けているわけでも、わがままでもないんです。
これ以上傷つかないように、心が必死であなたを守ろうとしてくれていた「防衛ポーズ」だったのですね。
助手席を降りて、自分のハンドルを握る
他人の人生のハンドルに同乗させてもらう生き方は、一見、責任を負わなくていいのでラクに思えるかもしれません。 でも、その車の行き先は、どこまでいっても相手任せ。
あなたが本当に行きたい「心地いい幸せ」には、たどり着けないメッセージでもあります。
あなたがずっと恐れていた「責任(後始末)」は、実は、大人のあなたになった今、思っているほど怖いものではありません。
なぜなら、あなたが「自分の味方でいる」と決めて、自分主体で選んだ道であれば、たとえどんな結果になろうとも、それはすべて「あなたの大切な経験」という輝く財産に変わるからです。
他人の顔色をうかがって、助手席でビクビクする時間はもう終わり。 あなたが責任を持つべきなのは、他人の人生や他人の機嫌ではなく、「あなた自身の幸せ」だけです。
今日から、少しずつで大丈夫。 「私はどうしたい?」と心に優しく問いかけながら、あなたの人生のハンドルを、あなたの手に取り戻していきませんか?
こんな複雑な心の奥にある怖れを解きほぐします♡
愛知県 稲沢市 結婚相談所そらなみはあなたの心の本音を紐解くお手伝いをいたします。